2009年4月28日火曜日

登りたい山を夢見る

登山は、まずどこに登りたいかを夢見ることからはじまる。

1985年にはじめてカラコルムに遠征に出かけた時は、1枚の写真がきっかけになった。今は廃刊になっているクライミングジャーナルという雑誌に掲載された、内田良平氏の撮影によるバルトロ寺院群だった。1000m以上の切り立った壁を、斜め横から見た写真だ。巨大なピラミッドがいくつも氷河上に空に立ち上がっていて、それまで見たことのない形をしていた。私だけだったら、他人事のように眺めて、その後話題に出たとしても、「ああ、知ってる、見たよ」で終わっていたかもしれない。

だが同期のAにとってはそうではなかった。彼は、そこに登っている自分を想像し、日本の岩と違って堅い花崗岩だから、ホールドもしっかりしていて、どんなに快適だろう、と熱く語ったのだ。カラコルムどころか、日本からまだ一歩も出ていないくせに、今までの国内での山登りの経験から、体の感覚にまで意識を広げて、まだ見ぬ山を味わっていたのだ。

私は別の想像をしていた。クライミングそのものよりも、人の見たことのない地平線の彼方へのあこがれである。その壁を登るシーンではなく、氷河を見下ろして世界を概観する自分の姿、そしてプロジェクトを成立させてマネージメント能力の高さを、メンバーや支援者から認められる姿だった。そこで僕らは、Aが登攀隊長として壁から山頂に関して、私は隊長として全体を統括して、ベースキャンプより下の手配や段取りに関して、役割分担をすることにした。

バルトロ氷河の入り口に付き、遠く目指す岩峰が見えた時、これで8割成功、と思った。Aはきっと、いよいよ始まりだと思ったはずである。そして標高5700mのキャンプから長大なバルトロ氷河を見下ろして、頂上まではまだ遠いにもかかわらず、私は満足したのだった。

人は夢に向かって進む。どんな夢を見るか、同じプロジェクトに関わっていても様々である。公のゴールと、個人のゴールは必ずしも一致してるわけではない。それでも、夢を自覚し、はっきりと持ち続けることが重要だ。でなければ、プロジェクトは、個人にとってやりがいのない義務となり、やらされ感に満ちた行動は、失敗をはらむからである。

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