ここ3編ほど、自分勝手を極める話をしてきたが、「誰もが自分のやりたいようにやったら、みんなが自分勝手だったら、世の中めちゃくちゃじゃないか。」という批判もあるかも知れないので、少し説明しておこう。
人の本質は自分勝手だから抑えるために理性がある、という考え方をしていると、理性が事切れた状態では、自己本位な行動しか起こらないという論理展開になる。だがそれは違う。
理性が事切れた時に活躍する動物の脳は、日常の私たちの行動を、より深いレベルで規定しているが、決して闘争的でもなければ、自分勝手でもない。弱肉強食と言われるが、それは自分の胃の大きさの範囲だけに限られている。動物は不要な狩りをしない。不要な闘争もしない。
動物が闘争本能に満ちた自己本位的な存在だというのは、人間を動物より尊い生き物だとする偏った認識にもとづくものである。この認識のほうこそ、初めに言葉ありきといって言葉で作り上げた自分本位な定義づけであろう。
動物には冷蔵庫も銀行もないのだから、貯めておけない。だから余分に食べる性質もない。環境要因の範囲の中で生きていくのが動物である。動物の一種である人間にも、元々備わった性質だ。それなのにやりすぎてしまうのは、動物的な貧欲を理性で押さえているのではなく、理性が貧欲を育てたのである。
動物の脳に良く聞いて、腹一杯になったらやめればいいのである。走りたくなったら走ればいいのである。それ以上よけいなことは、兄弟でじゃれ合うライオンの子供達のように、楽しみとして行う程度でいいのだ。
どうも人間は、あれこれ先のことを考え、悩み、よけいなことして、作りすぎては廃棄し、食べ過ぎてはダイエットして、動物より遙かに効率の悪い生き物である。環境問題とか、エコとか、頭で考えた理屈なんかじゃなくて、腹が減ってないことに気づくことの方が、よっぽど本質である。
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人の本質は自分勝手だから抑えるために理性がある、という考え方をしていると、理性が事切れた状態では、自己本位な行動しか起こらないという論理展開になる。だがそれは違う。
理性が事切れた時に活躍する動物の脳は、日常の私たちの行動を、より深いレベルで規定しているが、決して闘争的でもなければ、自分勝手でもない。弱肉強食と言われるが、それは自分の胃の大きさの範囲だけに限られている。動物は不要な狩りをしない。不要な闘争もしない。
動物が闘争本能に満ちた自己本位的な存在だというのは、人間を動物より尊い生き物だとする偏った認識にもとづくものである。この認識のほうこそ、初めに言葉ありきといって言葉で作り上げた自分本位な定義づけであろう。
動物には冷蔵庫も銀行もないのだから、貯めておけない。だから余分に食べる性質もない。環境要因の範囲の中で生きていくのが動物である。動物の一種である人間にも、元々備わった性質だ。それなのにやりすぎてしまうのは、動物的な貧欲を理性で押さえているのではなく、理性が貧欲を育てたのである。
動物の脳に良く聞いて、腹一杯になったらやめればいいのである。走りたくなったら走ればいいのである。それ以上よけいなことは、兄弟でじゃれ合うライオンの子供達のように、楽しみとして行う程度でいいのだ。
どうも人間は、あれこれ先のことを考え、悩み、よけいなことして、作りすぎては廃棄し、食べ過ぎてはダイエットして、動物より遙かに効率の悪い生き物である。環境問題とか、エコとか、頭で考えた理屈なんかじゃなくて、腹が減ってないことに気づくことの方が、よっぽど本質である。
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