他人を基準に置くと、他人に左右される。あちこちに配慮しているうちに時間を失い、チャンスを逃しすことになる。その失態を人は批判の根拠にする。「ほら、やっぱりね」というわけだ。他人を優先したつもりが、わざわざ人の批判を招き入れることになる。人の判断基準を採用していると、ろくなことにはならない。決定的な場面では、腹の底から信じていることしか、できないものだからだ。
ヒマラヤの高所に行くと、とってつけた社会性は引き剥がされて、本性がむき出しになる。酸素が希薄で頭がぼーっとした状態では、大脳に蓄積したよき社会人としての規範は、制御能力が弱くなってしまう。生き残るためには、動物的な脳に頼るらざるを得ない。もう限界、という時には、身体感覚に刷り込まれた行動しか、できないのだ。
日頃他人に良いことを言っていても、いざというときに行動が変わってしまったとしたら、もともと無理をして他人に合わせている証拠だ。無理して善人しているから、本性が悪であるように見える。まるで正体を隠して騙していたように見えて、信用を失ってしまう。
信用の元は一貫性である。良いときも悪いときも、変わらぬ態度を貫きたいのなら、自分が心の底で持っている価値基準を深く探り、知っておくことだ。判断基準は、あくまでも自分。人に合わせたところで、自分が心底信じていることでなければ、結局は裏切ることになる。だったらはじめから、心底やりたいことを言い張っている方が、よほど人のためである。
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